1998-12-11 第144回国会 衆議院 文教委員会高等教育に関する小委員会 第1号
本日は、高等教育に関して、日本私立学校振興・共済事業団理事長・大学審議会委員戸田修三君から御意見を聴取した後、参考人に対する質疑及び小委員間の自由討議を行いたいと存じます。 この際、戸田参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、大変御多用中のところ本小委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
本日は、高等教育に関して、日本私立学校振興・共済事業団理事長・大学審議会委員戸田修三君から御意見を聴取した後、参考人に対する質疑及び小委員間の自由討議を行いたいと存じます。 この際、戸田参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、大変御多用中のところ本小委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
私はこの「等」の中には税調特別委員あるいは土地臨調検討委員、それから大学審議会委員、教育課程審議会委員、この選任も当然含まれておると思いますが、これはいかがかということと。それから、スーパーコンピューターの導入とあわせて回線リセール業務、これも業務遂行上の懸案事項であったと思いますけれども、これも含まれておると思いますが、いかがですか。
ついでにあれしますならば、そのときにやはり一緒に指摘をしましたけれども、今度また大学審議会委員と同時に中央教育審議会委員になった田中健蔵氏などの問題だって、本当に適任であったかどうかということが私は疑わしいと思うのですよ。だから、もう全部政治絡みの格好になっておるとしか言いようがない。このときの答弁だって、学識に着目をした、その中身は大学運営だとか国際的な視野ということを説明されておったのです。
ですから、私があえてこれを出したのは、このような大学審議会委員論議をしたときいろいろ指摘をしたけれども、また再び中央教育審議会に任命をするということになれば、これをちゃんと保証したということになっているわけですから、そうした点で私は確認をしたいと思います。
それと同じく六十二年九月に大学審議会委員に江副さんをしてあるのです。そしてまた、六十二年の同じ九月に、今言った第二国立劇場の設立準備委員にしてあるのです。そこから出てきておるということは明らかだ。 中曽根さんはもう御存じのとおりに本当に諮問政治が好きでして、審議会なんかたくさんつくって、その委員には自分好みの委員を入れるということが評判だったでしょう。国民も皆知っておるのですよ。
もう一つ、例えば大学審議会委員の任命についてもそうでございます。これについては巷間だれでも常識として知っておる、報道が行われておる。これはある短大の元学長が大学審議会委員に予定されておった。ところが、高石さんから、官邸筋からの話で江副氏にしてくれ、こういうことで任命された。
一番最初に手に入れたのが、八四年十月の学校法人運営調査委員、私学に関係したなかなか発言権のある委員だそうですが、次が八五年九月十日の教育課程審議会委員、その次が八五年七月十四日の政府税調特別委員、八七年八月五日の新行革審の土地対策委員会の参与、それから八七年九月十八日の大学審議会委員と、政府関係の審議会だけでも五つのポストを手に入れている。
○橋本敦君 それでは、局長あるいは大臣に聞きますが、塩川文部大臣が十八日、中曽根首相と協議をされた、その文部省が持っていた名簿に大学審議会委員に江副氏は入っていましたか、入っていませんでしたか。言えますか。
大学審議会委員の任命は六十二年の九月でございます。おっしゃいますように、六十年当時は高石氏は初等中等教育局長、六十二年は事務次官でございますから、それぞれの立場は若干違いますけれども、その任命について仕事上タッチし得る立場にあったということは事実でございます。どのようにタッチしたかということは、それぞれの職務によってそれぞれの、これは八条機関でございますから、任命の手続の法令がございます。
さきに文部大臣は、審議会委員の選任について局長及び次官はタッチし得る立場にあるということを表明されたわけでございますけれども、江副氏の教育課程審議会委員及び大学審議会委員の選任に当たって高石さんは局長として、また次官としてどういうふうにタッチしたか、お伺いしたい。
○中野鉄造君 そこで、少し問題を変えたいと思うんですが、大学審議会発足当時、高等教育局長であった現在の阿部事務次官は、かつて大学審議会委員の人選についてこのように言われております。
そういう人を何ゆえに大学審議会委員として再選したのか、それを聞いているんです。
○政府委員(加戸守行君) お話ございました牛尾治朗氏並びに諸井虔氏は、六十二年の九月十八日より大学審議会委員に任命されているわけでございますが、十二月十三日に御両人から都合により大学審議会委員を辞任したい旨の申し出がございまして、文部省といたしましては御両人の意思を尊重いたしまして現在辞任の事務手続を進めているところでございます。
こうなりますと、大学審議会委員の任命は、すべての人選についてもう全部定数どおりきっちり下から事務次官のところへ上がってくる。事務次官が意見を述べる機会は全くないというのもおかしな話と思うんですけれども、事実どうなんでしょう、文部大臣。
今回のリクルート疑惑の張本人である江副氏が税制調査会特別委員、臨時行政改革推進審議会土地対策検討委員会参与、大学審議会委員、教育課程審議会委員を歴任してきたということでありますが、政府の各種審議会、調査会の委員選考のあり方を改めて問われてしかるべき問題であることを裏づけたものと言えましょう。
今度は事務次官になったときに江副さんを大学審議会委員に選んだ。それで高石さんは、下部から上がってきたのにおれは判こをついただけだ、こういうふうに言っているんだけれども、その言葉を文部大臣、信じられるんですか。私から言うならば、やはり職務権限を行使した、そうとしか思えません。
しかし十年来のつき合いの中で、年月が示しますように昭和六十年の九月に教育課程審議会委員、六十一年九月に株の譲渡、それで六十二年の九月に大学審議会委員という、この日取りを追うだけでも委員の任命が関係が深いという疑惑が出てくるのは当然であります。
六十年の九月大学審議会委員、これも江副社長、御存じのとおり。そして六十三年一月、青少年の学校外活動に関する調査研究会、これはリクルートの取締役の戸張氏。六十三年五月、進路指導の総合的な実態に関する調査研究協力者会議、これは大江リクルートリサーチ調査部長、前の調査部次長が偉くなられて調査部長になられている。
○山花委員 その株の売買があった前後でありますけれども、先ほど委員長の質問によりまして教育課程審議会委員及び大学審議会委員については説明されましたけれども、株を買う前、あなたが局長の時代、江副さんにつきまして大学入学者選抜方法の改善に関する会議、この委員に五十九年の四月になってもらった。
○山花委員 知らないとおっしゃいましても、先ほども大学審議会委員につきましては局レベルの協議について上がったものについて決裁をしたと、こうおっしゃいました。
また、あなたが初等中等教育局長及び文部事務次官時代に、江副氏は教育課程審議会委員と大学審議会委員に就任しているが、それらの審議会委員に就任するに至った経緯について説明してください。
中曽根前首相の二人の秘書名義でこれまで判明しただけで二万六千株、森元文部大臣に三万株が譲渡され、こうした株譲渡を背景に江副氏は教育課程審議会委員、また大学審議会委員に任命されました。大学審議会委員の人選に当たっては、有力視された大学の学長がはじき飛ばされたとか、官邸から後押しがあったと報道をされるほど異常な人事でした。
その点でもう明らかなのは、何といっても江副氏が教育課程審議会の委員、そうして大学審議会委員に、この高石氏がそれぞれ局長あるいは次官、この時期になっておるということなんです。
その段階におきまして、一般的には局の中でそれぞれ担当課が作業するわけでございますが、その積み上げによりまして局としての意思が固まったものが次官、大臣に上がっていくという形でございますので、大学審議会委員のケースにつきましては、原局から上がってきました案につきまして、江副氏がもちろん当然入っているわけでございますが、それに決裁をしたという形でございます。
○政府委員(國分正明君) 大学審議会委員の任命手続の問題でございますが、先生お話しのように、時によっては幾つかの団体に推薦を求め、その推薦を参考にして委員にお願いするというケースはございます。
高石氏は、大学審議会委員、これを決めますときに、初めに短大の学長を入れるはずだった、かわりに江副氏の名前が記入されていたので、大臣は、短大がないじゃないか、大学改革がテーマなんだから短大が入っていた方がいいじゃないかと指摘したら、高石氏は、確かに大学改革がテーマですが、短大は余り関係ありませんと押し切った、こう言われております。
例えば、彼が事務次官のときに江副氏が大学審議会委員になっています。また、彼自身が、この審議会の委員は局長が決裁して上に上げていくとみずからおっしゃっておりますね。ところが、初中局長のときに、初中局長が担当する教育課程審議会の委員にこの江副氏がなっているんです。これを考えますと、職務権限からいってもこれは収賄事件ですよ。他の国だったら、直ちに逮捕ですよ。
○馬場委員 大臣、今教育課程審議会委員、大学審議会委員に任命したときの大臣、次官、担当局長、担当課長の名前が出ました。こういう人たちはリクルートコスモスから株の譲渡を受けているかいないか尋ねられましたか。
○馬場委員 その次官が、文部省の中の中枢の、しかも一番ウエートの重い教育課程審議会委員、大学審議会委員に江副氏を任命しているんですよ。江副氏を教育課程審議会委員に任命したときの大臣、次官、担当局長、担当課長の名前を言ってください。それから大学審議会委員に任命したときの大臣、次官、担当局長、担当課長の名前を明らかにしてください。
そこで、私たちもきちっといたしてまいりますが、やはりこの問題については、まず文部大臣から、高石邦男前文部事務次官につきましての状況について、本人の名義で一万株を六十一年の九月に入手いたして、それを処理をいたしておると言いますが、この高石君は、前に事務次官在任中に大学審議会委員に江副君を任命をした、それにタッチした人でありまするし、また初中局長のときに教育課程審議会の委員に任命をいたした人でございますから
それから、審議会委員の発令関係につきましては、当然事務次官として大学審議会委員を発令する事務に関与する立場にあったわけでございますが、このことに関し一切指示等は行っていない、下から上がってきた書類を決裁しただけである、そのような説明がございました。 以上が簡単な事実関係でございます。
それは何らかの意図をもって出てき、そして双方の関係がありまして、そしてその後で大学審議会委員あるいは教育課程審議会委員に江副氏はなっていくわけですから。公文氏に職務権限があるとは思いませんけれども、そういうことが好ましいことなのかということは聞いておきたいのです。
江副さんが教育課程審議会委員になったのは六十年の九月、また大学審議会委員になったのは六十二年の九月でございます。株の譲渡が行われたのが五十九年の十二月でございます。 それから、官邸日誌をちょっと見せてもらったんですが、六十年の三月二日に江副氏が官邸を訪れております。また六十二年の八月八日には軽井沢で中曽根当時の首相に会っております。
また、大学審議会委員になったのは塩川文部大臣の時代でございました。森さんは、当時文部大臣ではありませんが、江副氏から非公開株を譲渡されたときの役職は自由民主党教育改革調査会長でございます。また、自由民主党の副幹事長、また江副氏が教育課程審議会委員になったときも同じ肩書でございました。そして、大学審議会委員に任命されたときも自由民主党の教育改革に関する調査会長であり、総務会長代理でございました。
臨教審設立に最も深い中曽根前首相、森元文相にリクルートの非公開株が譲渡され、リクルートの江副氏自身も教育課程審議会と大学審議会委員になっていたのであります。まさに、今日政府が進める教育改革の根本が汚されていたという疑惑が持たれる重大問題であります。ついに検察の強制捜査まで受けるに至った疑惑の会社の責任者をこれらの委員に任命した、その非を総理は率直に認めるべきではありませんか。
非公開株の譲渡があったころ、リクルート前会長の江副浩正氏は、政府税制調査会特別委員、新行革審土地対策委員、教育課程審議会委員、大学審議会委員など、数多くの政府中枢の審議会委員に任命されています。これはまさに贈収賄事件、犯罪の疑惑があります。この事件について総理はいかなる認識をお持ちか、お尋ねしておきます。